“資料せん”と言う名の情報
例えば税務署が個人で事業をおこなっているAさんの所得税の調査をおこなったとします。帳簿や証票類を基に、売上や仕入、諸経費に至るまで精細に内容や決済方法等を確認するでしょう。その段階でAさんの仕入についてBさんとの取引を確認すれば、その情報はBさんのAさんに対する売上が判明することになるわけです。税務署はAさんを調査した際、このような情報収集をBさんについてだけでなく、CさんにもDさんにもおこなっているのです。また、逆も真でAさんの売上を調査すれば、X社やY社、Z社の仕入の情報収集ができるわけです。
この情報収集の作業を資料化する、と言いますが、個人・法人を問わず税務職員は現場での調査に際し果敢におこなっているのです。昔はこれらの情報を所定の紙に残したので、これは“資料せん“と呼ばれるようになっていました。さすがに現在では紙でなくデータの形で集積していますが…。
資料せんの種類
この手の資料せんを実地調査資料せんと言いますが、資料せんはこの実地調査資料せんだけではありません。その他にも毎年会社が税務署に提出する地代や家賃、権利金や更新料等の情報、生命保険会社が提出する一時金や年金の支払調書、給与の支払者が提出する源泉徴収票等々の法律で義務付けられている法定調書、法定資料と言われるものもあります。これらは所得税法、相続税法、租税特別措置法等の規定に基づいて、誰がどのような法定調書を提出しなければならいのかが定められています。その数は総数で60種類にもなりますが、代表的なものだけでも次の通り。
①給与所得の源泉徴収票は給与、賃金等の支払者
②報酬、料金、賞金等はその支払者
③不動産の使用料等はその支払者である法人と不動産業者である個人
④不動産等の売却については、売却する法人と不動産業者である個人
ここで面白いのは、例えば③と④です。個人所有のアパートや賃貸マンションを社宅として法人に貸す場合を考えてみましょう。実際の居住者は個人でも、契約上の借家人は法人となるわけです。すると事務所や事業所でなくても家賃の支払者は法人になるため、その法人はその状況を法定調書として、税務署に報告しなければならないことになるわけです。平たく言うと、個人が法人に貸すと必ず家賃等が税務署にわかってしまうということなのです。それを嫌って、法人には貸さないなどとうそぶく不心得者もいるのが現実です。
また、変わったところでは、“重要資料せん“と言うものもあります。これは調査等の過程で相手方の不正や脱税に繋がる可能性のある事柄を、取引銀行、決済口座等まで詳細に記載した資料せんです。事の重要性に鑑み、実地調査資料せんと区別して、その名も“重要資料せん“と言うのですが、管理も厳重で統括官と言われる管理職が直接保管をしているのです。また、この資料せんは大昔は重要性が目立つように赤枠の大きな紙に記されているため、通称“赤紙“とも呼ばれていました。
税務署との取引
決して税務署の肩を持つわけではありませんが、税務職員は真面目な人が多いのです。従って、調査の過程でも前述の資料せんを懸命に収集することが多いのです。そんな中で、時折彼らを困惑させる状況になることも。
どういうことかと言うと、例えばXさんの調査をしたとしましょう。このXさんがY社から100万円の業務を受注したとします。当然ですがY社はXさんに経理を通じて100万円の支払いをするでしょう。しかし、実は本来の金額は80万円相当の業務内容であるにもかかわらず、 Y社の担当者Zが水増ししてXさんに請求させていたとしましょう。つまり、Xさんは入金した100万円からリベートとして20万円をZに渡すように初めから要請されていたということなのです。 Xさんも決してこんなことが良いことだとは思っていません。むしろできればしたくないのです。しかし、XさんにとってY社は重要な顧客で、担当のZを怒らせたらY社との取引も中止になる可能性があるとしたらどうでしょう。
Xさんもこのリベートを事業のお金でなく個人の懐から支出していたら、税務調査でこのような事実が明るみに出ることもないでしょう。しかし、このような取引が常習化していたら、とても個人で負担しきれるものではありません。Xさんは20万円を外注費として事業の経費にするより他の方法はありません。それはともかく、税務調査では売上はもとより、仕入や外注費まで精緻に調査、確認をされます。このようなケースでは、担当者Zが領収証を発行し、申告までする可能性は100%あり得ません。そもそも、 ZだってこんなことがY社にばれたら大変です。 Xさんは事の状況を税務職員に話し、それ故に領収証は存在しないと言ったら、税務署は納得するのでしょうか。正論を言えば、税務署がおこなうべきことは、 Zへの追及と確認でしょう。当然のことながらY社へも反面調査と言ってY社の売上をチェックし全容をつかむはずです。その結果、困るのは申告をしていなかったZより、むしろ取引が停止になってしまうXさんなのです。 Zの他にもそんなこともあるかも知れず、税務署はXさんの支払った外注費を、すべて資料せんにしてそれぞれの管轄税務署に通知・通報するのが本来でしょう。 “重要資料せん“として。
しかし、そんなことをしたらどうなるのか、 Xさんにはわかっているはずです。『どうかそれだけはご勘弁を!』となるでしょう。何度も言います。税務職員はそんな不正を目の前にして、黙って目をつぶるわけにはいきません。しかし、その正義感が、そして税務職員としての職務を全うしようという義務感で資料せんを作成したら、職を失う人がいるのも事実。
結論から言えば、もし私が税務職員なら仕方なく目をつぶるでしょう。ただし、資料せんは作成しないものの、20万円は経費性を否認し、Xさんには泣いてもらいます。決して誉められたことではありませんが、正義感や義務感だけで解決できることではないのかも知れません。今まで税理士として、何度か遭遇してきた事実ではあります。税務職員も血の通った人の子、まして、決してXさんの仕事を奪うような鬼でもありません。
税理士。昭和27年生まれ。早稲田大学教育学部卒。税理士法人エーティーオー財産相談室代表社員。国税専門官として税務調査を10年強経験後アーンスト&ヤング会計事務所、タクトコンサルティングを経て独立。経験を生かした資産税のスペシャリストとして活躍中。著書に『相続に強い税理士になるための教科書』『相続財産は法人化で残しなさい』『円満な相続の本』など。
税理士法人ATO財産相談室
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