最近、敷金ゼロ、礼金ゼロという、いわゆる「ゼロゼロ物件」が、賃貸住宅市場で増えています。全国チェーンの大手仲介会社の中にも、このゼロゼロ物件の仲介を売り物にしている企業もあります。この、ゼロゼロ物件、昨年来の深刻化する不況の影響もあり、非正規社員など低所得の若者を中心に人気が広がっています。これは、入居時の敷金や礼金などの一時金がないため、蓄えのない人でも簡単に入居できるためと考えられます。
しかし、最近では、こうしたゼロゼロ物件について、家賃の支払いが数日遅れただけでも、「違約金」等の名目の金銭を請求されたり、部屋の鍵の交換をされ追い出されたりするといった事例が相次ぎ、社会問題化しつつあります。たとえば、東京都新宿区にあるS会社の場合、「ゼロゼロ物件」での賃貸を、「鍵の一時使用」という特殊な契約形態を採り、1日の家賃滞納でも違約金が課される契約となっていました。同社の賃貸では、承諾なしに鍵が換えられ荷物を処分される等の事例が相次ぎ、入居者が損害賠償の訴訟を東京地裁に提訴しているようです。
このように、ゼロゼロ物件については、入居者側の被害が続出という形で、最近ではマスコミにも取り上げられることが多くなっていますが、実は、貸し主にとっても、ゼロゼロ物件の問題点はきわめて大きいのです。以下に、その概要をご紹介しましょう。
まず、「敷金」というお金の性格をもう一度確認しておく必要があるでしょう。「敷金」とは、不動産賃貸借契約期間中の借主(入居者)の貸主(大家さん)に対する債務不履行(家賃の滞納や、賃貸物件の損傷など)に対する担保として、入居時に借主から貸主に差し入れられる一時金で、賃貸借が終了するときに、借主の債務不履行があればその額を控除して貸主から借主に返還される性格のお金です。
この敷金は、欧米の賃貸マーケットでは、ほとんど見られない慣行のようですが、わが国で敷金という不動産慣行が生まれたのには、大きな理由があります。それは、不動産賃貸借契約においては、借主が過度に保護される法律体系(借地借家法等)があり、裁判上の判例も、借主保護のものが大半であるというわが国独自の不動産市場の歴史的経緯に基づくからです。わが国では、借地借家法の規定と判例により、たとえ、借主が家賃を滞納したとしても、それが、貸主と借主との間の信頼関係が破壊されるほどの債務不履行でなければ、借主は引き続き、その賃借部分を占有し続けることが法的に許されているのです。具体的には、半年程度の家賃の不払いなどがなければ、貸主が借主を立ち退かせることはできないのです。こうしたことをふまえて、賃貸借契約時に貸主が借主から敷金という名目の一時金を預かり、家賃の不払い時には、この敷金から不払い額に充当することで、法的に弱すぎる貸主の権利保護を図ろうというのが、わが国の賃貸市場で生まれてきた市場慣行であり、いわば生活の知恵なのです。
ゼロゼロ物件の考え方、特に、敷金をゼロにするという考え方は、こうしたわが国の不動産賃貸市場の市場慣行や生活の知恵を全く無視した乱暴な考え方と言うほかありません。実際に、敷金ゼロで入居される方の中には、敷金の額すら用意できない入居者層が含まれることになり、こうした入居者層が家賃を滞納する可能性が高いことは言うまでもないことでしょう。つまり、敷金をゼロにすることは、貸主にとって、家賃不払いの可能性の高い危ない入居者を集めやすいことになり、これは、将来のトラブルを自ら招いているようなものなのです。
結局のところ、ゼロゼロ物件、とりわけ、敷金をゼロにする仕組みは、貸主にとっては、入居者が早期に決まりやすいという点を除くと、何らメリットがないばかりか、将来の家賃滞納と立ち退き交渉という大きなトラブルを自ら招く最悪の選択と考えられるのです。また、多くの事例が示しているように、借主にとっても大きなトラブルに巻き込まれる可能性が高い危険な選択なのです。
それでは、一体、このゼロゼロ物件というのは、一体誰のための仕組みなのでしょうか。答えは簡単です。この仕組みは、貸主と借主の双方から仲介手数料を取れる仲介会社のために最もメリットのある仕組みなのです。敷金・礼金がゼロの物件の方が、一般の賃貸物件よりも、一時金を用意できない入居者も入居可能という点で、入居者集めが楽であり、早く成約する可能性が高いのです。ゼロゼロ物件と行っても、仲介手数料はゼロではありません。通常の物件と同額の仲介手数料を手早く稼ぐための仲介会社のための仕組みであるのです。
ですから、アパートや賃貸マンションのオーナーとしては、ゼロゼロ物件を売り物にしているような不動産仲介会社には、近寄らないことが肝要でしょう。これまでのつきあいで、どうしてもそうした仲介会社に募集を依頼するときには、少なくとも、敷金だけは、相場の敷金を取るような契約とすることが必要でしょう。なお、礼金については、家賃の一部という性格のお金ですので、募集のしやすさから、礼金ゼロという契約にすることも一つの選択と考えられます。いずれにせよ、入居者の審査を厳格に行い、信頼できる入居者を選ぶことが、将来のトラブルを避ける最良の方法と言えるでしょう。
博士(工学)、一級建築士、不動産鑑定士、明治大学理工学部特任教授。東京都生まれ。東京大学工学部建築学科卒業後、三井建設、シグマ開発研究所を経て、1997年に株式会社アークブレインを設立、現在に至る。共同ビル、マンション建替え、土地有効活用等のコンサルティングを専門とする。著書に、『建築企画のフロンティア』、『建築再生の進め方』(共著)、『世界で一番やさしい住宅[企画・マネー・法規]』(共著)など多数。
株式会社アークブレイン
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