スペシャリスト ビュー

プロスキーヤー・冒険家 三浦 雄一郎氏

いきいきと健やかな毎日のために、目標に向かって歩き続けること。
80歳で世界の頂点に立ち、今なお挑戦を続ける超人からのメッセージ

2013年、世界最高峰のエベレストに80歳で挑み、世界最高齢登頂記録を更新したプロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎氏。半世紀以上にわたって世界中で様々な冒険に挑み続け、数々の偉業を成し遂げてきた“超人”は、人知れず大きな逆境や困難を乗り越えてきた努力と意志の人でもあります。

87歳になった現在も新しい目標に向けて日課のトレーニングに励みながら、公私ともに充実した日々を送る三浦氏のエネルギーはどこからやって来るのか? 心も体も元気にしてくれるそのお話には、私たちにとっても、毎日をいきいきと健やかに過ごすための貴重なヒントがちりばめられていました。

逆境と困難を乗り越えた80歳のエベレスト登頂

2019年1月、かつてスキーで滑降した南米大陸最高峰・アコンカグアの登頂に挑戦しました。残念ながら強風が吹き荒れる標高6,000m地点での2日間の滞在が災いし、ドクターストップで登頂を断念しましたが、自分としては体調も悪くなく、登る自信はあった。いまだに悔しさは残っていますが、抵抗と葛藤の末に撤退を決断しました。

かくのごとく、冒険には思いどおりにならないことや困難がつきものです。例えば2度目にエベレストに登った翌年の2009年、私はスキーでジャンプした時にバランスを崩して転倒し、大腿骨を骨折し骨盤にひびが入る大けがを負いました。当時、私は76歳。すでに80歳で3度目のエベレスト挑戦を決めていましたが、家族はもう無理だと思ったそうです。

けれど私自身は必ずけがを治して登ると決めていたので、リハビリに励み、車いすと松葉杖を経て1年ほどで歩けるようになりました。その後いよいよエベレストに挑戦しようという前年、ヒマラヤの6,200mほどの高地でトレーニングをしている時、ひどい不整脈を起こしてドクターストップがかかります。急遽帰国して2度の心臓手術を受けたのですが、2回目の手術の翌月にはエベレストに向けて出発しました。

十分なリハビリ期間も取れないなかで、私はふと「年寄り半日仕事」という言葉を思い出し、1日の行程を半分ほどに減らして時間をかけて体を慣らしていきました。このアプローチが奏功し、むしろ過去2回よりも体調が良くなって3度目の登頂を果たすことができたのです。80歳という年齢だけでなく、けがや病気という大きなハンディキャップを負いながら、それを乗り越えて世界最高峰の頂上に立てたのは過去2回の時以上に感無量でしたね

「目標」を持つことがすべての出発点になる

この時の原動力となったのは、「もう一度、80歳でエベレストに登る」というワクワクするような目標でした。目標は、人間にとってあらゆることの原点、さまざまな挑戦の出発点です。ワクワクするような目標ががあれば、その達成のためなら多少つらいことだって苦にならなくなる。困難も苦労もひとつの味わいになる。反対に、目標を失うと人間はどんどんダメになっていきます。実は私自身、かつて目標を失ってダメになっていた張本人でした。

1985年に53歳で世界7大陸最高峰からのスキー滑降を達成した時、燃え尽き現象とでも言うのか、体力の衰えも感じ始めたこともあって、プロスキーヤーを引退しようと考えました。それから60代にかけて、おいしい食事やお酒を存分に楽しみ、スキーやゴルフをほどほどにたしなむ悠々自適な生活を送っていた私は、気づけば完全なメタボ体型になっていた。検査を受けると高血圧症、高脂血症、糖尿病、狭心症などあらゆる生活習慣病を発症しており、医師からは「このままでは、あと3年しか持たないよ」と宣告されたのです。

一方で、当時の私の周りには「99歳でモンブランを滑る」という後に達成することになる目標に向けて準備を進めていた90代半ばの父・敬三と、モーグルの日本代表選手として2度のオリンピックに出場を果たした次男の豪太がいました。そんな父と息子のひたむきな姿勢に、このままではいけないと一念発起した65歳の私は、「70歳でエベレストに登頂する」という大目標を掲げ、危機的な状況に陥っていた己の体を立て直すために、さっそくトレーニングを始めたのです。

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