スペシャリスト ビュー

一般社団法人聴竹居倶楽部 代表理事 松隈 章氏

自然と調和する日本の暮らしの本質を現代に語りかける環境共生住宅の原点
環境と生活が寄り添い、伝統と近代が響き合う重要文化財「聴竹居」を訪ねて

京都府乙訓郡大山崎町、緑深い天王山の麓にひっそりと佇む「聴竹居(ちょうちくきょ)」。建築家・藤井厚二の自邸として1928年に建てられたこの木造モダニズム建築は、自然と調和する伝統的な日本の生活様式と、西洋からもたらされたモダンな合理性を精妙に統合した日本近代建築の傑作です。

2017年、昭和時代の建築家の自邸として初めて国の重要文化財に指定されたこの名建築は、「環境の時代」と言われる現代に何を語りかけるのか。その答えを求めて、長らく日本の近代建築史の片隅に埋もれていた聴竹居の価値と魅力を再発見し、以来20年以上にわたってその保存公開活動に取り組んできた聴竹居倶楽部代表理事の松隈章氏を現地に訪ねました。

伝統とモダンが融合した理想的な「日本の住宅」

私が聴竹居に関わるようになってからもう23年になります。初めて聴竹居を訪ねた時、まず驚いたのが涼しさでした。夏の盛りだったのに、居室に入った途端にひんやりする。調べてみると、屋外から床下を通じて外気を取り入れ、天井裏に抜ける手製の換気装置が設えてありました。さらに、夏と冬の日差しを避けたり取り入れたりできるように軒や庇の長さを微細に調整してあったり、風通しを良くするために部屋を壁やドアで細かく分けずに、可動式の引き戸や襖でゆるやかに仕切られた大きな空間が確保されている。こうした伝統的な日本建築の方法論も援用しつつ、自然のエネルギーを受動的に利用する現代の「パッシブデザイン」の先駆けとも言える創意工夫が随所に施されていたのです。

初訪問の際にもうひとつ衝撃を受けたのが、和風でもなく洋風でもない極めて特異な空間デザインでした。土壁や畳、床の間といった日本的なエレメントを用いながら、テーブルや腰掛け椅子があって天井が高い。それまで見たことのなかったこうした組み合わせは、洋間の隣に座敷があるといった単なる「和洋折衷」とは一線を画すもので、この自邸を設計した建築家・藤井厚二の非凡な先進性は、新しい西洋の生活様式を取り入れながらも、日本の住宅を日本人にも暮らしやすい理想的な空間に進化させることだったのです。

ここに足を運ぶようになってから、季節の変化に気づかされることが増えました。暑い、寒いはもとより、新緑から紅葉、落葉へと移ろいゆく景色、そして空気と風の変化を通して春夏秋冬を肌で感じることができます。そのことによって私は、お茶やお花といった日本人の生活文化は日本の四季があってこそ生まれた、という藤井の考えを体感的に理解できるようになりました。「その国の建築を代表するものは住宅建築である」という藤井の言葉にならえば、わが国の気候風土に合わせた伝統的な建築メソッドを近代的なアプローチで再構築したこの聴竹居は、まさに「日本の建築」と呼ぶにふさわしい、理想的な「日本の住宅」ではないでしょうか。

意匠や思想に触れながら再発見した価値と魅力

1996年、都市の風景を一変させた前年の阪神・淡路大震災をきっかけに、歴史的建築物の保存の重要性を痛感した私は、被災し半壊した関西建築界の父と言われる建築家・武田五一が手がけた明治末期の木造家屋「芝川邸」の実測調査や広報・展示活動などに取り組んでいました。そんな活動のなかで、武田と縁浅からぬ藤井厚二が私の勤務する竹中工務店にかつて所属しており、彼が自邸として建てたこの聴竹居が京都の大山崎町に現存していることを知ったのです。

その鮮烈な印象と精緻で技巧的な意匠、環境共生的な思想にすっかり魅了された私は、許可を得てさっそく家屋の映像化に乗り出しましたが、同時に脳裏をかすめたのが、一般の賃貸住宅として供されていたこの建物の存続に対する危機意識でした。その後、実測調査や実測図集の刊行、関連する企画展の開催などを経て、建物の維持管理や見学ガイドなどを担うボランティア組織「聴竹居倶楽部」を組織したのが2008年のことです。

以降、少しずつ雑誌やテレビなどマスコミにも取り上げられるようになりましたが、2013年には、テレビ番組で聴竹居をご覧になられた天皇皇后両陛下(現 上皇上皇后両陛下)による行幸啓の栄に浴したことでさらに注目度が高まります。また、2016年には竹中工務店が聴竹居の所有者となり、同年、一般社団法人化した聴竹居倶楽部が建物の維持管理・運営や公開活動を担う枠組みが整いました。そして2017年7月、聴竹居は昭和時代の建築家の自邸として初めて国の重要文化財に指定され、以降、今日まで国内外から訪れる数多くの来訪者を魅了し続けています

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