1.遺留分とは何か? なぜ遺留分に配慮しなければならないか?
(1)遺留分とは?
既に何度かこのコラムでも遺留分について触れてきましたが、遺留分とは、相続財産のうち、相続人が取得すべきことが法的に保証されている最低限度の割合を言います。
相続人といっても、兄弟姉妹(したがってその子供たちも含む)には遺留分はありません。
遺留分の割合は、直系尊属だけが相続人の場合は相続財産全体の3分の1が遺留分の対象となる財産とされ、上記以外の場合は相続財産の2分の1が遺留分の対象となります(民法1028条)。相続人が複数いるときは上記の遺留分全体を法定相続分で按分して個々の相続人の遺留分が算定されます。
個々の相続人が遺留分として主張できる財産の価額は、被相続人の遺産の合計額に贈与した財産の価額と特別受益の価額を加え(相続財産に持ち戻すことになります)、債務を差し引いた額に遺留分割合をかけて算定します。
遺贈も遺留分算定の基礎財産に含まれ、死因贈与契約も遺贈に関する規定に従うこととされていることから遺贈と同様の扱いとなります(民法554条)。
生前贈与の財産のうち相続開始前1年間に行われた贈与については無条件で遺留分算定の基礎財産に含まれ、それ以前の贈与については、当事者双方が損害を加えることを知って贈与をした場合には遺留分算定の基礎に加算されます(民法1030条)。また、共同相続人が生計の資本として贈与を受けた資産があるときは、特別受益として遺留分算定の基礎財産に加算することとされているので(民法903条の特別受益の規定が民法1044条において遺留分に準用されています)、例えば後継者が、事業の対象となる不動産等の贈与を受けている場合には、1年以上前の贈与であっても、いずれにせよ特別受益として遺留分算定の基礎財産に算入されます。
控除対象の債務には公租公課等の債務を含みますが保証債務は含まないと解されます。
(東京高判平成8・11・7)。
以上の積極財産の額から債務額を控除して遺留分の割合を乗じた額が各相続人の遺留分とります。なお、この場合、基礎財産の金額の評価は、相続開始時の金額を規準に算定します。
(2)なぜ遺留分に配慮しなければならないか?
民法が遺言者の意思を制限する遺留分の制度を設けていることは分かったが、実際に違反した場合にどのようなことが起こるのか、今ひとつピンと来ない経営者の方もいるかも知れません。
しかし、オーナーの生前に、事業承継者についての了解やその承継すべき資産に関し、共同相続人の了解が得られていない場合、また、事前の了解が得られている場合であっても、遺言の内容が、特定の相続人の遺留分を侵害していると認められるときは、遺留分を侵害された相続人は、遺留分を侵害してなされた贈与や遺贈等の返還を請求できます。
これを遺留分減殺請求権と言います。
この場合、同一の承継者に対する遺贈・贈与の目的物が複数ある場合には、各対象資産すべてに対し返還請求すべきであり、減殺請権者が減殺の対象財産を選択して特定の財産のみの返還請求はできないとされております(判例・通説)。これは、例えば複数ある不動産のうち換価しやすい資産のみを選択して恣意的な減殺請求を行うことを認めない趣旨ですが、そのために遺留分権利者としては、その資産の保全を図るために、複数の不動産すべてに承継者の処分を禁止する仮処分を申請することも可能となります。
かように相続財産となっている工場の敷地や店舗、事務所等として事業に提供している不動産や承継者の自宅等の不動産の共有持分に対し、他の相続人から譲渡禁止の仮処分がなされると、これらの財産に担保権を設定して資金融資を図っていた銀行等の金融機関との取引約定上の問題となる可能性もあり、新たな融資がストップして資金繰りに影響を与えたり、不動産の共有持分に仮差押を入れられたために、その処分ができない等の問題が発生し、ことは当事者だけの問題ではなくなります。
また、遺留分減殺請求を受けた場合には、対象財産を返還する義務を負うだけではなく、その財産から生じた減殺請求のあった日以後の賃料等も返還しなければなりません(民法1036条)。
さらに、減殺請求を受けることが予想される承継者は、贈与の対象となった財産を第三者に譲渡すると遺留分権利者にその価額を賠償しなければなりません(民法1040条)。
そして、遺留分減殺請求権を行使するに至った相続人は、既に承継者に対し感情的な態度をとりがちなため、承継者側が、遺留分価格に相応すると認識した資産の提供を提案しても、資産の選択や評価を巡って任意交渉が難航することも多く、調停・訴訟にいたる場合も少なくありません。そのような場合には、最終解決まで数年はかかることも希ではないのです。
このように、相続財産における遺留分は共同相続人の最低の権利であることから、共同相続人の遺留分を無視して事業承継計画を立てることは、結局、遺留分権者との間で紛争を惹起させることとなり、企業運営を危険に晒す可能性があるとともに、その結果企業価値の低下を招くというリスクがあるという発想が大切だろうと思います。
2.遺留分による紛争を防止するための基本姿勢
そこで、以下に遺留分による事業承継の障害を可能な限り少なくする方法・制度を検討したいと思いますが、既にお話ししたように遺留分は、法が相続人に対し、最低限保証した権利です。そこで、遺留分の減殺を図るためにも次の点を肝に銘じておきたいものです。
(1)他の相続人との間の微妙な利害調整の主役となり、自ら進んで実行する意思と具体的な方策を絶えず検討する
(2)他の相続人との間のコミュニケーションを十分に図り、多角的な合意形成の基礎を築く努力をする
(3)これを機会に、先代の事業を漫然と承継する意思を捨て、承継対象となる事業を厳しく見直し、無駄を省き、ノンコアな部分は捨てるくらいの意識を持つ
(4)事業承継に要する客観的なコストを見積もり、最低限の資金調達計画を立てる
このような精神論のようなことを冒頭に申し上げると、非常に頼りないように思われるかも知れませんが、これらの基本姿勢が必要な理由は、遺留分負担を減少させるための制度は基本的には相続人間の合意を前提としているためです。
最初から紛争を予想する人は誰もいないでしょう。しかし、自分の利益のみに眼を奪われて、他の相続人の立場や利益に思いが至らないと、ある日突然争いの渦中に立たされることになるのです。事業承継を巧みに実現するためには、承継者と他の相続人の双方の利益に思いを致すことができるような複眼的な思考が必要です。
さらに、事業のリストラは、事業自体のためのみならず、少しでも不要資産を処分して遺留分対策の原資を獲得することも重要な目的であり、相互は密接に関係しているのです。また、このような自ら身を削るような努力を示すことは、往々にして他の相続人の譲歩を促す武器となるのであって、その意味では上記に掲げさせて頂いた幾つかの要素は、円滑な事業承継を進めるために全てが相互に関連していると言えるかも知れません。
私は、このような基本的なスタンスを見誤ったために、相続人間が相互不信に陥って、承継企業自体が毀損していった例を少なからず見ています。
既にお話しした会社法によるアプローチも含め、事業承継の基本準則としてその意味を反芻して頂ければ幸いです。
3.遺留分による負担を緩和するための手法
では、遺留分による事業承継の負担を緩和するための方法として、どのようなものがあるでしょうか?
(1)遺留分権利者に対する価額弁償制度
遺留分減殺請求を受けた承継者は、減殺の対象資産を限度としてその価額を賠償すれば対象目的物の返還を免れることができます(民法1041条)。
遺留分対象資産に相応する価額を支払うのだから当然という感じもしますが、遺留分権利者の方から減殺対象資産の持分取得に代えて金銭を支払えとは言えません。
あくまで、減殺請求を受けた事業承継者のみが有する権利なのです。
また、複数の相続財産のうち、自ら特定のものだけ(例えば減殺請求を受けた土地、建物、株式のうち株式のみ)について価額弁償を主張することができます(最高判平成12・7・11)。
このように価額弁済制度は、上記最高裁判例を機に事業承継者側に使いやすいものとなったといえます。
したがって、承継者側で価額弁償に要する資金調達が可能であれば、遺留分減殺請求を受けた側が権利として価額弁償を選択できるので、相手方の合意が不要なため、比較的早期に解決を図ることができると言えるでしょう。
遺言執行者は法人でもなれますし、また、相続人を遺言執行者に選任することもできます。また、遺言執行行為が法的な知識を有するほうが円滑に進む場合も多いので、弁護士等の法律専門家を執行者に指定することも可能です。オーナーとして承継させるべき事業や相続人等への配慮等を判断して、最もご自分の事業承継の最終段階を託せる者を指定することが良いと思われます。
(2)遺留分放棄制度
オーナーの生前中にある相続人について相続を放棄することとなり、当事者間でその旨の念書を交わしたいという話を希に伺います。確かにこれによって、遺留分負担は軽減されます。
しかし民法は、相続の開始前における遺留分の放棄は家庭裁判所の許可を受けたときに限り効力を生ずると規定し(民法1043条)、生前の遺留分放棄は裁判所の許可が必要である旨を定めています。
したがって、先の合意書等で相続の放棄を確認した書面は無効です。
裁判所が生前の相続放棄を許可する一般的な規準は、(1)放棄が本人の自由な意思に基づくこと、(2)放棄の理由に合理性・必要性があることとされており、上記2要件のうち、(1)が中心であると言われています。
この点、両親の離婚後交流のなかった父を被相続人とする遺留分の放棄について、遺留分放棄を相当とするに足りる程度の合理的代償利益の存在が必要であり、本件では少なくとも遺留分放棄を相当とする合理的代償がないとして申立を却下した一審決定(水戸家裁下妻支部決定平成15・6・6)に対して、本件申立は申立人の真意に基づくものと認められ、本件遺留分放棄を許可することによって法定相続分制度の不相当な結果をもたらす特段の事情は存せず、却って抗告人と父は父子としての交流がないことから相互に他方の遺留分を放棄したもので、抗告人の遺留分放棄によって両親の株式帰属の調停が迅速に解決した一因もあるとして遺留分放棄に不合理な点はないとして原決定を却下した決定があります(東京高判決平成15・7・2)。
この高裁決定は、事前の遺留分放棄を裁判所の許可にかからしめたのは、被相続人が遺留分権利者を強制するなどして遺留分権利者の利益を害することがないように遺留分権利者を保護する点にあると述べており、遺留分に相当する価額の代償を要件とするものではないことが明らかとなりました。
遺留分権利者自身に放棄の申立をしてもらうことが、ハードルを高くしているとの見解も多いようですが、上記判例に鑑みると事業承継の実情に即して遺留分の放棄を可能にする制度として見直されて良いのではないかと思います。
さて、紙幅が尽きてしまいましたが、次回は引き続き「遺留分による負担を緩和するための手法」として「経営承継円滑化法における遺留分特例制度」を取り上げたいと思います。
※本記事は2011年7月に掲載されたもので、その時点の法令等に則って書かれています。
弁護士。昭和31年生まれ。早稲田大学法学部卒。昭和55年司法試験合格後、司法研修所、海谷・江口・池田法律事務所を経て、平成元年に木島法律事務所を設立。組織変更を経て、平成22年12月より木島綜合法律事務所。一般民事事件とともに、都市再開発法・借地借家法・不動産売買等の不動産関係法務や会社法・労働法等の企業法務等を多く扱っている。
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