遺産分割のトラブルが日本初事例のきっかけに
この事案は、横浜市内で古くから農家を営む家に生まれ、生涯独身でいらした女性(以下「Aさん」)が、直系相続人が無いまま亡くなられ、5人の兄弟姉妹が法定相続人となった事案です。
昭和の頃でしたら、直系相続人も無くご相続を迎えた方がいても、ご本家のお墓に入ることが多かったこともあり、亡くなった方の財産をご本家(ご先祖様)に返すのを当然のこととして、他の兄弟姉妹もそれを容認していたと伺います。
しかし現在では、兄弟姉妹が相続人となる事案の多くで遺産分割協議がまとまらず、『誰がどの財産を取得するか』といったトラブルが少なくないようです。これも、『相続』を「家を継ぐ、亡くなった方の立場(姿)を引き継ぐ」という感覚で考えなくなったことの現われなのかも知れません。
この様なことを申し上げると、ご長男以外の相続人から「余計なことを言うな」と言われるかも知れませんが、今回の事例はこのような遺産分割協議のトラブルから発生した偶然の産物とも言えるものでした。
誰も相続したがらない問題物件
Aさんのご相続人は、全員が横浜市内のそう遠くない地域に居住しておりましたが、Aさんの生前から兄弟姉妹の仲は良い状態とは言えない間柄で、度々問題を起こしていたそうです。
加えて、(1)今回の対象地だけが東京の不動産であったこと、(2)建物は築40年を経過し老朽化が目立っていること、(3)店舗2件+住居5世帯の建物は、相続開始時点で2部屋の空があり、店舗1件は半年も賃料を滞納していたこと、(4)先代の相続で周辺一帯を相続したAさんは、近隣の底地と一緒に対象地の底地も物納し、国(財務省)から借地している『貸家建付借地権』であることといったマイナス要素も重なり、遺産分割協議の最後の1物件となっても対象地を誰が相続するかを決められず、分割協議書の作成ができない状況がしばらく続いたそうです。
相続ではなく物納に?
そんな状態の遺産分割協議は、相続税申告を依頼された税理士にとっても、相当時間と労力を掛けさせられるものだったと思いますが、実はこの事案の相続税の申告を依頼されていた税理士の一言が、膠着状態にあった兄弟姉妹の関係を打開することになりました。
詳細は、申告期限の2ヶ月前位になってこの税理士から一本の電話があり、『十数年前に底地物納した上の借地権と、入居者がいる借地上建物をセットで物納できないか?』という相談を受けたのです。
老朽化した建物と借地権を、長期保有する前提で分割するのでなく、納税用財源として誰かに相続してもらうという税理士の素晴しいアイデアを受けて、借家人付建物と借地権の物納条件整備のレポートを作成しました。
申告期限まで時間が無いこともあり、この物納条件整備の調査報告書を2週間程で作成し、これを基に税理士が『誰も相続したがらないこの借地権付建物を、物納申請財産として相続しませんか?』とご長男に提案し、未分割で申告することのデメリット等も説明しながら、ようやく物納を前提にして、ご長男が『貸家建付借地権+建物+前面私道持分』を相続することに決まりました。
借地権付き建物物納の条件整備
補修工事の方針を立てる
本来、物納条件診断書を提出するには、対象地や建物内部を何度も確認し、建物賃借人毎の過去の経緯等もお伺いし、書面上では分かり得ないことなども確認するのですが、今回の事案は業務受託後に建物内部を拝見する変則対応となりました。
実際に建物を内覧した時は、想像以上の状態に正直驚いてしまいました。空室居室は天井や床が切り開かれ、天井裏や床下配管を点検したまま放置されており、和室には畳がなく、天井と床には水漏れ跡のような染みがあり、一見して通常使用に耐えられる状態ではありませんでした。
この状態で税務署の物納担当者と協議をしても、物納後の財産管理を担当する財務局が確認しなければ補修工事範囲を確定できません。そこで建物内部は現状のままにして、財務局に現地立会い依頼を掛けられるだけの書面提出を行い、財務局からの補完指示を受けてから建物内部の補修工事を行う方針を立てました。
借家権を残し、長期化を避ける
また、賃借人が存在している物納物件は、借家権や借地権相当分の評価を減額した相続評価で申告していることから、賃借権付き建物で物納するより、それを排除して物納する方が賃借権相当額を割戻した高い評価額で収納されます。
一方で、借家権付き建物物納の場合は、賃借人が入居中の区画は建物内部を確認できませんが、賃借人が利用していることで通常使用に耐え得るとの判断がなされるため、空室区画のような建物補修費用を掛ける必要が無いというメリットがあります。
逆に、賃借人の退去交渉を行う場合は、物納条件整備に時間が掛かってしまい利子税の負担が長期化することや、建物明け渡しに伴う退去費用の拠出等といったデメリットがあります。
そこで今回は借家権を排除せず、収納価格の改定よりも物納条件整備の長期化を避けることを選択しました。
省略できた条件整備事項
現状のまま物納条件整備を行う方針に基づき、賃借人との賃貸借契約書面を差し替え、未収賃料を回収する等の条件整備を進めました。
条件整備の中では、国(財務省)から借地していることにより、(1)借地権の及ぶ範囲を示す書面、(2)土地所有者からの借地権の移転(譲渡)承諾書面、(3)相続人と国の新らたな契約書の締結、といった条件整備は省略することができました。
境界のトラブルも乗り切る
また、過去に底地物納した際に、前面私道の境界標写真を全て提出していたのですが、10年以上経過して現地の境界標が明らかに変わっていることが判明したため、私道全ての境界を以前の状態に復元しなければ、私道持分の物納ができなくなるというトラブルに見舞われました。
これについては、通り抜け私道で評価がなかったということもあり、私道持分の物納申請を取り下げることで、収納金額は変わらず条件整備費用を掛けないという選択を取り、事なきを得ました。
条件付き許可にならずに済む
プラス面としては、空室部分の補修工事が完了したとしても、所謂瑕疵担保請求権や地下埋設物が存在した場合の処理と同じように、建物物納についても5年間の条件付許可となるであろうとご長男(納税者)に説明していました。
実際の物納許可を受けてみると、普通財産の物納許可と変わらない対応であり、ベランダの防水工事や床下・天井裏の配管補修工事等の対応について、経年劣化による追加破損が生じた場合等のリスクを負わずに済んだということが、最も大きなメリットであったかもしれません。
財務局の一言
このような特殊事案の物納許可を受領する際に、当時の財務局の担当者から『建物賃借人の管理を国が引継ぐことになるような物納許可事例は、物納が新制度に移行しなければできなかったことです。これまで関東財務局では取り扱いが無いことは分かっていましたが、どうも全国初の事例になるようです』と伺いました。
確かに、国が公務員住宅と同様に民間人に建物を貸付ける契約をしているという話は聞いたことがありません。物納許可後に共用部分の電球が切れた場合、一括借り上げによる管理会社を新たに設定するまでは、関東財務局の担当者が電球交換に来なければならないとぼやいていました。
この物納許可を受けしばらく経過した頃に、新聞紙面で「国が管理する物納許可物件を、信託法を活用して一括売却することを検討する」との報道を目にしました。案外、この物納事案がそのような判断に何らかの影響を来たしていたかと思うと、少々複雑な気持ちでした。
【備考】
<建物を物納申請する最低条件>
- 借地権や土地と供に申請すること
- 違反建築物でないこと
- 確認通知書、検査済証があること
- 建物設備や構造図面があること
- 法定耐用年数を超えていないこと
- 建物や付属設備に損壊等がないこと
<借地上の建物を物納申請する場合>
- 借地権の及ぶ範囲が確定していること
- 地代等の滞納がないこと
- 土地所有者と物納申請者による賃貸借契約書に差替えができること
- 土地所有者からの借地権の移転(譲渡)承諾が得られること
<物納申請建物に賃借人が居る場合>
- 建物使用状況に法令違反がないこと
- 法令、用途、契約違反等がないこと
- 建物賃借人と物納申請者による賃貸借契約書に差替えができること
- 賃料の滞納がないこと
次回は、現存しない位置指定道路の物納事例についてご紹介致します。
※本記事は2010年7月に掲載されたもので、その時点の法令等に則って書かれています。
不動産コンサルタント。株式会社イデアルコンサルティング代表取締役。会計事務所向け不動産コンサルティング会社に11年勤務後、平成15年に独立。底地・借地の権利調整や物納条件整備業務を数多く手掛ける。共著に「こう対応する 物納・延納の制度改正 50問50答」。現在、会計事務所向け専門誌「実務経営ニュース」に連載中。
株式会社 イデアルコンサルティング
立花弘之 コラム一覧